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細工蒲鉾

細工蒲鉾動画

30年程前に撮影した映像です。戦後間もない昭和25年(1950)から創り始め、

昭和34(1959)年には “皇太子殿下御成婚献上” の作品も作りました。

昨年迄に63点の作品を作りましたが、綺麗な写真として残っているのは昭和60年(1985)からの24点のみです。


細工蒲鉾写真


細工蒲鉾作り方

株式会社志岐蒲鉾 高見元子さん

繊細な細工を生み出す道具類。
ヘラはシヅヱさん手造りのものも。

 ▶  先代の想いを受け継ぎ美しい細工蒲鉾を作り続ける女性

物作りを行う人には、やはり頑固で自分の信念を突き通す人が向いているのではないだろうか。全国で唯一″摺り出し″いう技法を用いて細工蒲鉾を作る高見元子さん。「何度作ってもまだ自分の納得できる作品はできません。特に人を描く時の髪の生え際が難しくて…でも上手くいかないからこそやりがいがあるのかもしれません」。

高見さんが「細工蒲鉾」を作り始めたのは、25年ほど前。「蒲鉾絵」を考案した叔母の志岐シヅヱさんがパーキンソン病を患い、細かい作業ができなくなったことが原因だった。

「叔母の意志を受け継ぎたいという想いから必死に勉強しましたね」と話す。型紙だけでも7000800枚という、他にはないこだわり抜かれた細工蒲鉾は、全国蒲鉾品評会で「技術大賞」を毎年受賞。業界で唯一の「高松宮賞」も受賞し、その名を轟かせる。

「絵とはいえ蒲鉾は食べるもの。すり身にもこだわって良いものを使ってます。すると、不思議と色も綺麗に出るんですよね」。しかし、普通の絵画とは違い、細工蒲鉾は一ヶ月程しか保たない。「苦労して作っているので、もったいないなんて思っちゃいますけど、叔母はだからこそ、またより良い新しいものをと前向きでした」。

花のように儚く可憐な細工蒲鉾。その美しさを追求し続けるため、高見さんは努力し続けていく。

 ▶  細工蒲鉾美技25年

髪飾りの細工から髪の毛の生え際まで細やかに描き込まれ、瞳は澄んでいる。あでやかで繊細なこの美人画が、魚のすり身で描かれているというから驚きだ。

作者は大川市の老舗かまぼこ店「志岐蒲鉾(かまぼこ)」の高見元子さん。来年2月に開かれる全国規模の品評会に向けて、新作の準備を進めている。高見さんは「する出し」と呼ばれる技法で細工蒲鉾を手がける職人だ。技術を生み出した叔母の志岐シヅヱさんの遺志を継いで店を守る。全国のかまぼこメーカーが年に一度、自信作を披露する「全国蒲鉾品評会」では、何度も入賞している。一つの作品を仕上げるまでの道のりは長い。

まず、原画をコピーし、トレーシングペーパーで台紙に転記する。それに合わせて色付けする部分ごとに1000パターン近い型紙を準備。白いすり身のキャンバスにあて、木べらでそいだ所に卵黄や抹茶などで着色したすり身を少しずつ重ねていく。この一連の工程が「すり出し」と呼ばれる。木べらを入れる作業は、すり身が傷まないうちに終わらせなければならず、高見さんは品評会直前の2日間で集中して仕上げる。細かな作業を経て、丁寧に蒸し上げると、絵の具で色付けしたかのような鮮やかな作品が完成する。

品評会を主催する全国かまぼこ連合会によると、細工蒲鉾の技法には、すり身を入れた袋を絞って造形を作る。「絞り出し」や、金太郎あめのように、かまぼこの断面に模様を描き出す「切り出し」などがあるが、すり出しの技術を持つ職人は全国でも高見さんだけだという。

高見さんは大学卒業後、家業のかまぼこ店に入った。すり出しを始めたのは志岐さんがパーキンソン病を患った25年ほど前から。ミリ単位の精度が求められる工程を「私が手の代わりになる」と引き受けた。「鮮度のいいすり身でないと薄く伸ばせない」「着色は天然の食材を使いなさい」。志岐さんの指導は細部にわたった。納得のいく作品を初めて品評会に送り出したのは1997年。志岐さんが他界して2年後だった。「亡くなる前、病棟で『そげんきれいにできるならよかね』と作品を褒められたのが忘れられない」。

高見さんは志岐さんの面影を振り返りながら、「厳しかった叔母に、認めてもらえる作品を出したい」と、新作への意気込みを語った。

ひとつの作品に、800枚~1,000枚の型紙 が使われる。


筑後大川寿ぎの技「蒲鉾細工絵」

着色には、天然由来の安全なものしか使わ ない。

花のように、命に限りがあるものだからこそ、心がゆさぶられる。
蒲鉾で描かれた、美しくも儚く可憐な細工絵――。
伝統の細工蒲鉾を、芸術の域にまで高めた長い歩みの歴史には、二人の女性の情熱と、たゆみない研鑽の日々があった。
これらの絵を見ていると、美しい花鳥風月とともに生きてきた日本の女性たちの、息づかいが聴こえてくるようだ。


志岐蒲鉾本店  志岐シヅヱさん/高見元子さん

 ▶  息をのむ美しさ――蒲鉾が描き出す美人画

ふっくらとした頬、涼しげな瞳、髪飾りの細工から衣装のやわらかな質感まで、細やかに描かれた佳人たちのあで姿。繊細で透明感のあるこれらの美人画が、魚のすり身で描かれていると言われても、誰もすぐには信じられないことだろう。

淡い色、深い色、鮮やかな色、透明な色、ほのかな色・・・そして微妙なぼかしや、額にかかる糸のように細い髪の毛の一本一本、匂うばかりの生え際まで、そのすべてがなめらかなすり身とわずか8~9色の食用色素から生み出されるのだという。

1991年制作の「麗日」。着物の柄の細かな鹿の子絞りは、気の遠くなるような辛抱強い作業だった。

1990年に作った「伊勢大輔」。十二単のあまりの複雑さに、周囲からは「難しすぎる」と反対をする声もあったという。

 ▶  伝統の常識をこえた新しい試み

この蒲鉾細工絵を考案したのは、「志岐蒲鉾」初代の細工蒲鉾職人・志岐シヅヱさん(故人)。大正元年、大川の老舗蒲鉾店に生まれたシヅヱさんは父や兄を手伝って、小学生の頃から毎日蒲鉾に接してきた。

蒲鉾にはおなじみの板付きやスボ巻きなどのほかに、結婚式や祝儀の席を彩る「飾り蒲鉾」がある。鯛や扇の形をしたものに、寿の文字や鶴亀の模様が入っているものだ。小さな頃から手先が器用で絵も上手、特に色づかいに天賦の才を持っていたシヅヱさんも、器用な手先を生かして飾り蒲鉾づくりに腕を振るっていた。

しかし彼女はやがて平凡な絞りだし細工に飽き足らず、より高度な摺り出しの技法を用いて、もっと独創的な絵を描いてみたいと思うようになる。図柄も、当時としては誰も思いも寄らなかった日本画に求めた。とはいっても、誰か師匠がいるわけではない。たった一人で工夫や試行錯誤をくり返しながら、第1作目の「御所車」を完成させた。昭和25年のことである。着物の柄から取ったこの作品は、長い曳き手の牛車に色とりどりの花が飾られたもの。こぼれるような花々は、まるで本物のように、匂い立つばかりに美しい出来ばえだったという。

 ▶  業界を驚かせた、繊細な「摺り出し」の技法

シヅヱさんはこの作品を「全国蒲鉾品評会」に出展。参加者から驚きと絶賛の目で迎えられた。「これが本当に蒲鉾生地でできているのか?」作品の前は鈴なりの人だかりだったという。以来シヅヱさんは、上村松園や伊東深水の美人画を題材に毎年蒲鉾絵を出展し、志岐蒲鉾の名を全国に轟かせた。「大川の志岐蒲鉾の、あの蒲鉾絵を見るために品評会に行く」というメーカーもあったという。

芸術性の高い作品は数々の賞に輝き、業界では唯一「高松宮賞」も受賞。昭和34年には、皇太子ご成婚に献上するための蒲鉾絵制作を依頼されるという栄誉に浴し、渾身の作品「蓬莱山宝船」が東宮御所に納められた。

繊細な細工を生み出す道具類。
ヘラはシヅヱさん手造りのものも。

 ▶  気の遠くなる作業から生み出されるもの

蒲鉾絵は、聞くだけで気が遠くなるような作業の積み重ねによって作られる。まず原画が決まると、それを写真で拡大して、トレーシングペーパーで台紙に写し取る。昔は壁に幻燈機で映し出して、工場の若い衆が手で写し取ったという。 

そして最初の難関がこの下書きをもとにした「型紙」づくりだ。実に800~1000枚にも及ぶ型紙を用意しなければならない。全体を細かく分け、色を重ねるごとに型紙を変えるからだ。美人画の命ともいえる瞳の部分だけでも20枚近くある。 

そしてこれからが、いよいよすり身を使った本番に入る。氷にのせた枠の台に下地の白いすり身を塗りこみ、一度蒸してからそれぞれの部分に型紙を当て、中を木べらで薄く剥いで着色したすり身を少しずつ重ねていく。この行程が「摺り出し」と呼ばれるもので、この作業が何百回と繰り返されるのだ。 

木べらを入れる作業は、すり身が痛まないうちに終わらせなければならず、まさに時間との闘いだ。また色のつなぎ目を丁寧になじませないと、蒸した後に剥がれてしまう。神経を研ぎ澄ませた作業がつづけられる。気の遠くなるような細やかな作業を経て、丁寧に蒸し上げると、ようやく作品が完成となる。1枚の蒲鉾絵ができあがるまでに、実に50時間以上を要するという。着色には食用色素の他に、コーヒーや卵の黄身、抹茶などを使用。10色に満たないこれらの色を混ぜ合わせることで、日本画のあの幻想的な色調が再現されるのだ。

 ▶  想いは、新しい世代に受けつがれて

現在シヅヱさんの情熱と独自の技術は、姪の高見元子さんと工場長の峰松四男さんに受け継がれている。擦り出しの技法を継承する人は、高見さんのほか全国にもいないそうだ。
「絵とはいえ蒲鉾は本来食べるもの、すり身にもこだわって良いものを使っています。すると不思議に色も綺麗に出るんですよね」これは、伯母のシヅヱさんの時代から、頑固に守りつづけている姿勢である。

それでも、普通の絵画とは違い、蒲鉾絵は1カ月ほどしかもたない。「苦労して作っているので、勿体ないなとは思うのですが、だからこそまたより良い新しい作品を作りたいと、前向きになるんですよね」と、高見さんは語る。

1995年出典の「つれづれ」。この作品は蒲鉾品評会で技術大賞を受賞した。

 ▶  ふるさと有明の「魚好み」に支えられて

蒲鉾の材料のエソやグチは、昔は有明海でもふんだんに獲れていた。今も築後中部魚市場にはあふれるほどに魚が並び、セリにかけられる。エソヤグチの姿も見える。魚に関しては目の肥えた、有明の人たちに舌鼓を打たせる海の幸だ。魚が美味しいから、その加工品である蒲鉾を選ぶ目もきびしい。志岐蒲鉾の細工絵の技も、そんな郷里の人たちの、厳しくそして温かい眼差しに育てられてきたと言えるのかも知れない。